世良田の東照宮の御黒門と上番所
江戸時代 徳川幕府は世良田の東照宮を護る為に上・下の二カ所に番所を設け、昼夜警備にあたらせたそうです。
御黒門(縁結び門)
江戸時代は平常閉ざされ、門前で参拝。
正月・4月の祭典日は特別に開かれ拝殿下の階段まで参拝が許されたそうです。
門を入ると左手に番所があり警固されています。
門を入った右側には、掟を書いた立て看板が二つ。
1つは、役所の番人が定めた参拝の心得があり、もう一つは、天海大僧侶の定めた掟です。
東照宮御宮番
江戸時代、世良田の東照宮は、将軍家先祖の地として徳川幕府の手厚い庇護を受け、その警固には深甚なる注意が払われた。
下記村々は、その警固を勤めた村で、「火の番助郷」とも言われ、他の地域とは異なる優遇を受けた。
川北(群馬県側)、世良田・小角田・粕川・出塚・大舘(尾島町)、境(境町栄)、八木沼(境町米岡)、平塚・女塚(境町)、上江田・中江田・下江田・上田中・下田中・高尾(新田町)、川南(埼玉県側)、中瀬・横瀬・北阿賀野・南阿賀野・町田・血洗島・上手計・下手計・大塚・成塚(深谷市)。
◎なかでも、世良田・小角田・中瀬は特別な御用を勤めた。(天保7年資料による)
江戸城を護る御庭番衆と違って、東照宮を護る為に、地元の村人たちによる御宮番衆が出来ていたのですね。当番が決まっていて、ここから地元の消防団につながって行ったのでしょうか。
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