東日本最初の禅寺・長楽寺
長楽寺の三仏堂(県指定重要文化財)
長楽寺の太鼓門(県指定重要文化財)
太鼓門は、鼓楼ともいわれ、三仏堂の西に隣接して立っています。
様式等から江戸時代初期のもので、三仏堂同様に修理を経て現在に至っています。
桁行三間、梁間三間、袴腰付の入母屋造りで、屋根は銅瓦葺で、楼上に太鼓をかけ、寺の諸行事の合図に使われた。
長楽寺(ちょうらくじ)は、新田氏の祖新田義重(にったよししげ)の子、徳川(新田)義季(よしすえ)を開基とし、日本臨済宗の祖栄西の高弟栄朝(えいちょう)を開山として、承久3年(1221)に創建された東日本最初の禅寺「東関最初禅窟(とうかんさいしょぜんくつ)」です。
寺の正式名称は、世良田山真言院長楽寺といいます。
鎌倉時代は、約6万坪の境内に塔頭寺院(たっちゅうじいん)が軒を並べ、あまたの学僧が兼学修行に励んだといわれます。
室町時代の初期に日本五山十刹(ござんじっせつ)の制度が成立すると、長楽寺は十刹の第7位になりました。
しかし、新田氏の衰退とともに長楽寺も荒廃してしまいました。
徳川家康は、天正18年(1590)小田原北条氏討伐の功により、関東の地を与えられました。
そこで、祖先開基の寺とする長楽寺を、天海(てんかい)大僧正を住職として復興に当たらせ、寺領100石を与えました。
天海は臨済宗から天台宗に改宗し、境内を整備し、伽藍(がらん)を修復し、幕府庇護のもと末寺700寺有余の大寺院に成長させました。
現在、境内には文殊山(もんじゅやま)の中世石塔群や蓮池、江戸時代の建物である勅使門(県重文/ちょくしもん)、三仏堂(県重文)、太鼓門(県重文/たいこもん)、開山堂などがあります。
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