世界文化遺産の「高山社跡」絹産業遺産群

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富岡製糸場と絹産業遺産群として世界文化遺産に登録されました。
富岡製糸場は有名ですが、世界遺産には4つの施設が同時に登録されているのです。
何故?絹産業遺産群なのか。4つの施設があったことにより、日本の絹産業が大きく発展したからなのです。

4つの絹産業遺産群の役割

  1. 田島弥平旧宅
    蚕が病気になって発育が悪かったり、病気にかかって死んでしまうことが多く、生産性が上がらなかった。
    優良な種を選別して多く生産する技術を開発し、蚕の養殖と種の供給を行っていました。
  2. 荒船風穴
    蚕の養殖を1年中可能にする技術を発見し、蚕の種の貯蔵施設として、使用されました。
    荒船山の冷たい冷風の吹き出し口を発見して、ここで蚕の種を冷やすことで冬を感じさせます。
    錯覚を起こさせることによって、1年を通して蚕の生産が可能になり、生産量が大きく拡大しました。
  3. 高山社跡
    蚕の養蚕は技術的に難しく、養蚕を広めようにも知識を持った人が少なかった。
    旧家の高山長五郎が資材を投げ出し、養蚕の建屋様式や養蚕技術をみんなに教える学校を初めて作りました。
    生徒を教育者や分校を増やして、日本全国に養蚕業を広めました。
  4. 富岡製糸場
    一番有名な生糸の生産工場。全国で生産されたお蚕から生糸を作り出す生産工場です。
    海外から近代的な設備や技術者を招いて、近代工業が開花しても、蚕の養蚕技術が無ければ富岡製糸場は成り立たなかったのです。

高山社跡

今回は高山社跡をご紹介します。
日本初の養蚕学校である私立甲種蚕業学校は藤岡市内に建設され、今は取り壊され建物も無い為、
高山社を設立し最初に開校した自宅を高山社跡として登録されています。


自宅を改築し、養蚕に適した家屋や養蚕方法「清温育」を確立しました。

高山長五郎
文政13年(1830)藤岡市高山に生まれ養蚕法「清温育」を確立し、
養蚕改良高山社の事務所と伝習所を自宅(史跡高山社跡)に開いて養蚕技術の指導や改良に尽くした。
明治19年(1886)に病没。


2階が各部屋に分かれ風通し良く、蚕を飼育できるようになっています。


高山社および私立甲種蚕業学校



高山社は明治34年に日本初の養蚕学校である私立甲種蚕業学校を開校しました。
日本全国だけでなく、海外からの生徒も受け入れました。
卒業生の多くは授業員として各地に派遣され、清音育の普及に貢献しました。
また蚕業学校とは別に、有力な社員の自宅に養蚕の実習のみを教える分教場も各地に設けられ、分教場の生徒は養蚕期間中だけ泊まり込みで学んでいました。
高山社は蚕業学校と分教場の2本立てで養蚕指導を行い、卒業生を授業員として各地に派遣することによって、全国に近代的養蚕法を広めました。

住所:〒375-0036 群馬県藤岡市高山236-1
電話:0274-23-5997
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