世界遺産に認定された富岡製糸場。
群馬県民もどうして世界遺産に認定されたのか。
どうして世界遺産群なのか、初めて勉強して解りました。
改めて日本の産業の歴史を勉強したような感じです。
日本の産業革命はここから始まったと言えるでしょう
現在の日本の産業の基礎を築いた功績は、素晴らしいです。
富岡製糸場が最後の生産工場だとすると、その材料を生産したのが一緒に世界遺産に登録された絹産業遺産群です。
是非、訪れて勉強してほしい場所です。
4つの絹産業遺産群の役割
- 田島弥平旧宅
蚕が病気になって発育が悪かったり、病気にかかって死んでしまうことが多く、生産性が上がらなかった。
優良な種を選別して多く生産する技術を開発し、蚕の養殖と種の供給を行っていました。 - 荒船風穴
蚕の養殖を1年中可能にする技術を発見し、蚕の種の貯蔵施設として、使用されました。
荒船山の冷たい冷風の吹き出し口を発見して、ここで蚕の種を冷やすことで冬を感じさせます。
錯覚を起こさせることによって、1年を通して蚕の生産が可能になり、生産量が大きく拡大しました。 - 高山社跡
蚕の養蚕は技術的に難しく、養蚕を広めようにも知識を持った人が少なかった。
旧家の高山長五郎が資材を投げ出し、養蚕の建屋様式や養蚕技術をみんなに教える学校を初めて作りました。
生徒を教育者や分校を増やして、日本全国に養蚕業を広めました。 - 富岡製糸場
一番有名な生糸の生産工場。全国で生産されたお蚕から生糸を作り出す生産工場です。
海外から近代的な設備や技術者を招いて、近代工業が開花しても、蚕の養蚕技術が無ければ富岡製糸場は成り立たなかったのです。
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